東京地方裁判所 昭和36年(ワ)6911号 判決 1965年1月29日
原告 ズノー光学工業株式会社破産管財人 松尾菊太郎
被告 株式会社ヤシカ
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金一〇、五七九、八五六円及びこれに対する昭和三六年九月一六日以降右支払ずみに至るまで年五分の割合による金銭の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
一、ズノー光学工業株式会社は、昭和三六年一月二三日支払を停止し、同年二月六日債権者より破産の申立がなされ、同年四月一四日東京地方裁判所において破産宣告を受け、原告は同時に破産管財人に選任せられた。
二、破産会社労働組合の執行委員池田正一外六名は、同年一月二六日破産会社所有の別紙目録<省略>原告主張欄記載の各在庫品、(以下「本件物件」という。)を窃取し、これを同年三月四日被告会社に代金一〇〇万円で売却した。
被告会社の代表取締役諏訪工場長牛山治三郎は、右物件が破産会社の所有物で、前記組合員らが窃取したものであることを知りながら、これを取引価額の十分の一にも満たない金額で買受け、右組合員らと共同して破産会社の所有権を侵害した。仮りに同人が右組合員らの不法行為を知らなかつたとしても、同人は破産会社の資産状態及び労働組合員の窮状を知つていたのであるから、たとえ組合員が会社から譲渡を受けたものであるといつても、会社倒産の場合には、労働組合などが会社財産を持出すことは起り勝ちであるので、一応破産会社にその事実を確める注意義務があるのに、同人はこれを確めないでしかも労働組合の窮状に乗じて前記捨値でこれを買取つた点に重大な過失がある。
右牛山治三郎の行為は、被告会社の職務を行うにつきなした不法行為であるから、被告会社は、商法第二六一条第三項、同法第七八条第二項、民法第四四条第一項により損害賠償責任を免れない。
破産会社は、右不法行為により時価合計金一〇、五七九、八五六円相当の損害を蒙つた。
よつて、原告は被告に対し、右損害金及びこれに対する本訴状送達の翌日である昭和三六年九月一六日以降右支払ずみに至るまで民法所定年五分の遅延損害金の支払を求める。
三、仮りに破産会社が労働組合に本件物件を組合員の賃金、予告手当、退職金の支払に代えて譲渡したものであるとしても、破産会社が破産財団に属すべき財産を労働組合に対して譲渡することは、破産財団を減少し、破産債権者を害する行為であり、受益者たる労働組合は、その当時、右譲渡が破産債権者を害すべきことを知つていたのであるから、破産法第七二条第一号に該当し、又その行為のあつたのは、破産会社が支払を停止した同年一月二三日の直後である一月二六日であるから、同条第二号の否認の原因が存在するものといわなければならない。
被告会社は、労働組合より本件物件を買受けた当時、労働組合に対する否認の原因あることを知つていたばかりでなく、前記のように時価に比し極めて僅少の対価を以て、買取つたのであるから、無償行為又はこれと同視すべき有償行為によつて転得したものというべきである。
そこで原告は、予備的に転得者である被告に対し、破産法第八三条第一項第一号又は第三号により否認権を行使する。
ところが被告会社は前記譲渡契約の目的たる本件物件を組み込んでカメラを製作し、現物が存在しないので、本件物件の返還に代る前記時価相当の価額の償還及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和三六年九月一六日以降右支払ずみに至るまで民法所定年五分の利息の支払を求める。
と述べ、被告の主張に対し、
(一) の事実中、破産会社が被告主張のような協定を労働組合との間になしたことは認めるが、その他は否認する。
(二) の事実は否認する。被告会社は、本件(1) ないし(5) の物件につき所轄税務署に完成品として物品税の免税申告をなし、課税標準たる価額をこれだけでも実に金五、四四一、五〇五円と算定していることから推して、被告が極めて僅少の対価で買取つたことは明らかである。
と述べた。
被告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、答弁として、請求原因第一項の事実は認める。
同第二項中、牛山治三郎が被告会社代表取締役諏訪工場長であることは認めるが、その他の事実は否認する。被告会社は破産会社労働組合より別紙目録被告主張欄記載の物件を原告主張の日、代金一〇〇万円で買受け、所有権を取得したものである。
同第三項中、右被告主張の物件を破産会社から労働組合に組合員の、未払給料等の支払に代えて譲渡せられ、被告が右物件を買受けたことは認めるが、その他の事実は否認する。
(一) 破産会社は、昭和三六年一月二六日労働組合との間に、「会社は倒産人員整理等のおそれがあるので、賃金、予告手当、退職金に充当するため約六百万円に相当する製品、半製品、並びに抵当権の設定されざる機械器具類の物件を組合に引渡すものとする。組合が運用する際は会社と協議する」旨の協定をなし、右協定に基き前記物件等を労働組合に引渡し、組合は、同日以降右物件の所有権を取得したものというべきである。したがつて、組合員が右会社からこれを窃取して売却した旨の主張を前提とする原告の本位的請求は、その理由を欠き、失当として棄却を免れない。
仮りに、被告が労働組合から買受けた物件が破産会社の所有であつたとしても、被告は右物件を善意無過失で取得したものであるから、破産会社に対して損害賠償責任を負担すべき理由は全くない。すなわち、本件売買当時、労働組合の執行委員長池田正一、副委員長酒井太一らは、自ら本物件を被告会社諏訪工場に持参し、それも秘かに買つてくれと言つてきたのではなく、破産会社の自動車に積載して訪れ、「本物件は労組が破産会社との間の前記協定に基き会社から賃金の代りに貰つたものであるが、処分して組合員に分けたいから一三〇万円で買つてほしい」旨を申入れ、右物件取得の経過を説明したばかりか、被告の要請によつて右売買の物件が組合の所有に属する旨の覚書を差入れたので、被告は、これを金一〇〇万円で買受け引渡しを受けたものである。右のような事情の下に買受けたのであるから、被告は、本物件の所有権が労働組合にあるものと信じて疑わなかつた。最近会社倒産の場合、その労働組合が賃金等に充当するため会社から財産の譲渡を受けることは一般にかなり行われているから、被告が前記池田らの説明を信用したのは社会通念上当然のことといわなければならない。
しかも、「被告は、本物件を適正価額で買受けたものであつて、不当に廉価で、また無償に等しい価額で買受けたものではない。本物件は、被告工場ですでに製造を中止した部品が多く、また使用し得る部品も更に加工或は修理を要する半製品であつて、到底一三〇万円の価値はないが、組合執行委員長らより懇願され、その立場に同情してこれを一〇〇万円で買受けたが、一般的に言つても破産会社の製品の価値が大巾に下落することは至極当然である。被告は右物件を買受後、全く使用しないまま現在も諏訪工場倉庫に保管している。
(二) 本件において、破産会社は、組合員に対し一般債権者に優先する賃金債権等を弁済するため先取特権の目的たる破産者所有の商品を組合に譲渡し、組合員は、その売却代金を賃金債権等の弁済に充当したものであるから、なんら破産債権者を害する目的でなした行為とはいえない。なおその後昭和三六年一月三〇日無担保債権者は、破産会社が右組合員らの給料に充てる目的で、その製品、半製品等を処分することを承諾し、右行為が債権者を害するものでないことを自ら認めて異議権を放棄している以上、破産管財人原告は債権者のため否認権を行使することは許されない。
仮りに否認の原因があつたとしても、前記(一)のとおり、被告はこれを知らなかつたのであるから、否認権の行使を受けることはない。
と述べた。
証拠<省略>
理由
第一、本位的請求に対する判断
請求原因第一項の事実及び破産会社が昭和三六年一月二六日労働組合との間に被告主張のような協定を締結したことは当事者間に争がない。
しかして、前記争のない事実に成立に争のない乙第一号証の一、二、第四号証、証人池田正一の証言により真正に成立したものと認める甲第三号証及び乙第二号証と証人鈴木作太、同鈴木健夫、同酒井太一、同藤森嘉男、同百瀬一清、同池田正一の各証言を総合すると、次のような事実を認めることができる。破産会社は、昭和三六年一月二三日支払を停止し、同月二五日工場の一部を閉鎖して全従業員に臨時休業を宣言したので、従業員約二七〇名は急拠労働組合を結成し、執行委員長に池田正一を推し、直ちに会社側に団体交渉を申入れた。そこで翌二六日中野地区労働組合協議会事務局長立会の下に労資双方の間に従業員に対する一月分の未払給料約六〇〇万円相当の会社の製品、半製品並に抵当権の設定されざる機械器具類の物件を組合に引渡し、組合が運用する際は会社側と協議する旨の前記協定を締結し、組合は右協定に基き会社より本件物件等の引渡を得て管理した。その後同月三〇日無担保債権者も製品の販売代金を給料等に優先的に充てることを了承したので、組合は右物件の一部を爪生精機、アルコ写真労組等に処分した。ところで、本件物件は被告会社の外註部品にして他に処分することもできないので、同年二月初旬破産会社鈴木工場長らは予め被告にこれを引取つて貰うよう折衝し、組合が処分することについて了承していたが、同年三月四日頃生産再開も不能になつたので、組合の執行委員らは組合大会の決議に基き、本件物件の一部を含む被告主張の物件を会社の自動車に積載し、被告会社諏訪工場に運搬し、被告職員に組合員らの窮状を訴え、右物件を一三〇万円で買つて欲しい旨申入れ、一旦は断られたが、組合員が会社より未払給料の代りに右物件を貰つたものである旨経緯を説明し、かつ、右物件が会社と組合との間の前記協定に基き引渡されたもので、全組合員の承認を得て持参したものである旨組合名義の覚書を差入れたので、被告は、右物件が組合の所有に属するものと信じて代金一〇〇万円でこれを買受けた。そこで執行委員らは、組合大会に事後報告し、右代金を組合費及び組合員の未払給料の内金として分配したが、組合が前記協定に基き会社より引渡を受けた物件の換価代金は、本件被告に対する分を含めて総額約三三七万円にして、いずれも組合員の未払給料等に充当し、破産管財人原告に対し、物件処理一覧表としてその旨届出ずみである。しかるに破産会社は、同年六月右執行委員ら七名を窃盗罪により、また被告会社取締役牛山治三郎を賍物故買罪により東京地方検察庁に告訴したが、いずれも不起訴処分に付された。
前掲証人鈴木作太、同鈴木健夫及び同北沢和明の各証言中右認定事実に反する部分は、にわかに措信できないし、他に原告主張の事実を認めるに足りる的確な証拠はない。
右認定の事実によれば、原告主張の物件の一部は、破産会社が労働組合との団体交渉の結果、前記協定に基き組合員の一月分未払給料約六〇〇万円の代物弁済としてこれを引渡したものというべく、ただその処分換価の具体的方法について、会社と協議する余地を残していたに過ぎない。してみれば、当該組合員は、予め執行部に一切の権限を委任し、かつ、その結果を組合大会で承認し、右会社と組合間の協定につき受益の意思表示をなすことにより、右物件は適法に組合員の所有に帰したものというべきであるから、組合の執行委員らが保管中の右物件を持出し、被告に売却処分したからといつて、なんら違法な行為として責められるべき筋合のものではない。
したがつて、原告の本位的請求はその他の点につき判断するまでもなく全く理由がない。
第二、予備的請求に対する判断
破産会社が労働組合との間の前記協定に基きなした会社財産の譲渡行為は、前段説示のとおり被告会社が支払停止をした後の行為であること明らかであるが、もともと組合員である従業員は、会社との雇傭関係に基き生じた給料債権等を有し、会社の総財産の上に先取特権を有するものである(商法第二九五条)から、右担保権の目的である前記物件をもつて優先的に代物弁済を受けても、その弁済額の範囲内においては、右代物弁済は他の一般債権者を害するものでなく、したがつて、否認の対象にはならないものというべきである。しかし、前記物件の評価が時価に比し不当に廉価であるときは、右弁済額との差額について、他の債権者を害しないとはいえないので、以下この点につきしらべてみる。ところで、前掲証人鈴木作太、同鈴木健夫、同酒井太一、同池田正一の各証言よりすると、右協定は、会社倒産の異常時態の下で行われたため、会社の製品、半製品並に抵当権の設定されざる機械器具類を一括して、組合員の未払給料等約六〇〇万円に相当する物件として引渡され、個々的な評価がなされていないため、組合が少しでも有利に売却処分することを考えて、なお処分方法につき会社と協議する余地を残したものと推測できる。
したがつて、本件において、前記物件の評価額が適正かどうかは、労働組合が被告会社に売渡した代金額が妥当かどうかによつて決するよりほかない。しかして、被告が労働組合より被告主張の物件を代金一〇〇万円で買受けたことは、被告の自認するところである。証人鈴木健夫の証言及びこれにより真正に成立したものと認める甲第二号証によれば、破産会社は、倒産前である同年一月二一日の棚卸時に、被告会社発註の部品として総額五、三八八、五一六円相当の部分を所有していたが、倒産後右物件が全部散逸したことは認められるけれども、右認定の一事をもつて、組合が会社より右物件全部の引渡を受けてこれを被告に売渡したものとは速断できない。
むしろ、証人藤森嘉男、同船倉恭治の各証言及び右証言により真正に成立したものと認める乙第六号証によれば、被告が労働組合より買受けた部品は、被告主張のような品目、数量にして、被告会社は買受後現在に至るまで未使用のまま諏訪工場倉庫に保管していることが認められる。
しかも、前掲甲第三号証、証人藤森嘉男、同百瀬一清、同池田正一、同酒井太一、同永由寿一の各証言によれば、被告が買受けた右部品は、完成品とすれば約三〇〇万円以上の価値ある物件であるが、殆んどが不良品及び半製品にして、さらに修正、不足部品の取付、及び交換を必要とし、直ちに使用に適せぬものであり、被告会社において右部品を必要とする写真機製造をすでに中止しているものもあつたが、前記部品には被告の商標が表示され、被告以外の会社には転売できぬ品物であつたので、前記認定のとおり組合執行委員らより懇請され、組合員らの立場に同情して代金一〇〇万円で買取つたものであることが認められる。
もつとも、成立に争のない甲第八号証の一、二、第九号証、乙第七号証の一、二によれば、被告は、同年四月本件(1) ないし(5) の物件につき、所轄税務署に物品税法所定の原材料免税包括承認物品移入事績申告書を提出するに際し、完成品としての価額合計金五、四四一、五〇五円と記入して右物件の免税申告をしていることが認められる。しかし、前掲証人藤森嘉男、同百瀬一清、同永由寿一、同島崎勝美の各証言と対比して考えると、右免税申告書記載の課税標準たる価額は、製造者が製造所より移出するときの卸売による通常の取引販売価額をもつて算定されるけれども、本件において、被告は、移入者として前記物件の免税申告をなすに際し、破産会社の破産によつて申告の手続が遅れるため、便宜未検査のまま、所定の期間内に従前どおり税務署の認定した完成品価額を表示して免税申告をしたに過ぎず、これにより被告は、右部品に対する免税措置さえ得られれば、申告時の価額が実際の取引額と相違しても、なんら実害を蒙らないことが認められる。
してみると、被告が買受けた物件が尠くとも右免税申告の標準価額以上の価値があつたとの原告の主張は、にわかに採用できないし、被告の買受価額が時価に比して著しく廉価であつたとはたやすく断定できない。他に右認定に反し原告主張の事実を肯定するに足りる証拠もない。
そうだとすると、破産会社が労働組合との間にした前記物件の譲渡行為は、結果的にもなんら破産債権者を害するものとはいえないから、爾余の点につき判断を俟つまでもなく、右行為につき否認権を行使する原告の主張は理由がない。
第三、結論
以上により、原告の本訴請求は全部失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 土田勇)